実績紹介2
「異常気象・凶作に全く影響を受けない山形県、泉さんの(静電三法)植物波農法」
●出展:「電子物性技術と大和流産業革命」メタモル出版社
●注:植物波農法は、一般的に電子農法ともいわれております。
(要約) 環境汚染による地球環境の変化に伴い、異常気象が年々危惧される中、山形県新庄市で大規模な農家を営む泉一美さんは植物波農法(電子農法)を20年以上実践され、これまで異常気象・凶作に全く影響を受けていないそうです。特に1993年ので全国の作況指数80で東北地方にいたっては、収穫がゼロに等しい冷夏異常気象にも、びくともしなかったそうです。近未来、エネルギー・食料危機回避の決め手として期待されています。
●●●冷夏の影響をまつたく受けなかった電子農法
1993(平5)年という年は、日本中の農家にとつて決して忘れられない重大な意味を持っ年となりました。
思えばこの年の出来事が問うたのは、ことさら農業のあり方ばかりではありません。繁栄を謳歌し続けるかに見えた日本の社会すべてのあり方が問われ、見かけの反映の中で気づかぬ内に多くの大切な何かを置き忘れてしまった日本人の生き方そのものが、根本から問い直されたのです。
いうまでもありません。その問いを発した最大の出来事は、冷夏がもたらした凶作でした。当時の畑英次郎農相をして「100年に一度あるかないか」と言うほどの大凶作まさしく繁栄の日本の頭上に冷水を浴びせかけました。
異常気象の定義がどうであるかを問うまでもなく、あの年はまれにみる異常気象でした。毎日毎日が雨。日本全国どこをとっても、7月にも8月にも、太陽はほとんど顔を見せませんでした。一般のみなさんには「海水浴などする気にもならなかった年」といった印象が残っているのではないでしょうか。だが、土を耕すものにとって、あの寒い夏はまさしく大凶兆。良い秋を迎えられると思った者は、まずひとりもなかったはずです。
結果は、みなさんもご存じのとおりです。全国の米の作況指数は80。すなわち厳しい凶作。間違いなく戦後最悪の結果でした。冷害となった東北地方では、収穫がゼロに等しいばかりか、翌年の種籾さえ確保できないという厳しい事態が続出したほどです。
社会情勢こそ異なるものの、昭和初め、あの無数の身売りの悲劇を生んだ大飢饅にも等しい大凶作だったのです。
稲ばかりにとどまらず、野菜も果物も大不作。化学肥料と農薬に頼る“農業技術”を疑うことなく、作物の質はともかくとして毎年の絶えることない豊作を当たり前のように思い込んでいた大多数の農業関係者は、太陽の見えぬ空を、なすすべもなく仰ぐばかりでした。
しかし例外がありました。電子農法を実践してきた農家に限っては例外でした。あの壊滅的ともいうべき結果をもたらした冷夏の影響を、ほとんど受けなかったのです。
周囲一面の田や畑がほぼ全滅という中で、電子物性総合研究所には、電子農法の田畑だけは例年に何ら遜色ない実りの秋を迎えたという報告が次々に寄せられました。その成果は・各地の専門家からも多大な注目を集め、電子農法の実際を検証しようとする動きもはじまりました。
いわゆる科学的な検証が十分に行われ、電子農法の効果のメカニズムが解き明かされるまでには・数年以上の年月を要することでしよう。しかし、いささか乱暴に省みずにいうなら、メカニズムの解明はさして重要なことではないのです。実際に得られている効果・実績こそ注目するべきであり、そうした実例の数を増やすことこそが、何よりの検証材料となることを忘れてはいけません。
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