科学を哲学する、楢崎研究所
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第1回 楢崎皐月氏の直弟子・松原喜一さんを訪ねて(2/7)

2.楢崎先生との出会い

 昭和26年から27年頃、楢崎先生は東京方面で「食糧増産推進」講演会を開催されていた。

「私が楢崎皐月先生に初めてお会いしたのは、昭和28年の秋頃だったと思います。植物波農法は既に出来上がっていて、本当に普及できるかどうかという時期でした。東京の教育文化会館での講演会で化成協会主催の「食糧増産推進セミナー」という講演会に出席した時でした。参加者は150〜160人くらいで、先生の顔見知りの方を集められておられたという感じでした。」

続けて話す。

「私は富山県の農業協同連合会の立場で、29歳〜30歳頃でしたか自主活動の勉強の形で参加しました。それが先生との最初の出会いでした。」
松原さんはその頃を懐かしむように目を細め、遠くを眺めている。

「その後1年以内に2回位お会いしたことがあります。当時、神田神保町の東京大学に向かって右側にあった家を化成協会事務所として借りて活動されていました。化成会の人達が集まって研究していたことを覚えています。“生物の変化生成で成長する”という原語を略して名づけられた“化成会”の人達は,それは、それはすごいメンバーで化け物のような方達ばかりで僕達では一言も話ができない方ばかりですよ。大変な人脈で、政治家、大学教授、実業界の大物等、特に星製薬の星一氏は楢崎先生の財政支援された方ですが、そういうグループの方がここで研究されていた。」
その頃、松原さんは楢崎先生をはじめ化成会の人達のことを“これまで軍隊の教育を受けていた体験から、何とすごいことを考えている人達だなあ”と感じていたという。

 その事務所には様々な機械を作る部屋や事務所があり、化成会の人達ばかりでなく、様々なグループの方が集まって研修する部屋など8畳間の部屋が5部屋くらいあり、かなり広かったようだ。
 その頃、三鷹にすごい事業所があり、今の新日鉄、当時の日本重工業の研究グループの人達もここで裏づけの研究をやっていたという。



楢崎先生

  「その後、3年後頃から私は化成協会事務所に出入りするようになりましたが、楢崎先生はその当時は食糧増産を命がけでやっておられました。
 最初はお手伝いからはじめましたが、僕が獣医師であるということから、僕に畜産事業推進を考えて『卵の黄身を2つ作る方法があるからやってみろ!』といわれ実験したことがあります。先生の指導どうりにやってみたら本当に黄身が2つある卵ができる。そのとおりできるんですよ。いやはや、驚きましたよ。・・・・・・『でも先生、これでは商品としては売れませんよ!』というと、先生は『加工して売ればよい』とおっしゃる。そのとおりなんですね。カステラなどの原材料として使用すれば黄身の多いおいしいカステラがたくさんできる。今でも上の養鶏場で実際に黄身が2つある卵を採卵させていますよ。その他、豚、にわとり、犬などの健康管理に関する実験や穀類、野菜、果物等の鮮度対象実験などもお手伝いしました。

 その頃、化成会の仲間の方で人体波健康法の研究をしておられた海軍出身の医師の徳永さん、林さんと楢崎先生とがよくお話をしていたのを覚えています。」

 松原さんの思い出話から、「静電三法」の背景には、戦後の復興にかけた日本人の英知を結集した壮大な研究グループの存在が垣間見られる。

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