第1回 楢崎皐月氏の直弟子・松原喜一さんを訪ねて(3/7)3.松原喜一さんの経歴、人柄、考え方
ここで松原喜一さんの経歴に触れてみよう。
大正14年4月1日に誕生。お母さんは、松原さんが一人っ子で兄弟がなく、また、一人っ子は友がいないから、将来を考えて多くの人達と交流をするために色々な団体に加入させたいという母の考えから、嫁ぎ先が仏教の家でありながらキリスト教の幼稚園・青葉幼稚園に入園させ、モンテッソーリー教育(自立した子供を育てる:自立していて有能で責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間に育てることを目的とした教育でイタリアの女医マリア・モンテッソリーにより始められた)を受けさせた。
当時、松原家には青葉幼稚園の青い目で、黄色い髪をした外国人の先生「(Eliza
Gertrude Tweedie女史・カナダ生まれ)が自宅を出入りするので近所の人は奇異の目で見ていたそうだ。小学校4年生から中学3年生まではボーイスカウトで育てられたとおっしゃる。功労賞をもらった程だ。後年には中央の日本ボーイスカウト協会で指導者養成の副ディレクターを勤められていた。そうした教育の中で松原さんは「Leading
my doing」という思想を確立していく。「モノを求めることばかりでは、ろくなことはない。子供の教育というものは家庭の中では感謝や喜びの心を育て、社会に対しては思いやりの気持ちを持てるよう育てていかなくちゃあいけない」とキッパリ言う。 |
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松原喜一さん
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地元の小、中、高校を卒業後は終戦まで日本獣医畜産大学で学び、学長の井口賢三(元・北大学長)先生にはとてもかわいがってもらったという。また、東大の川田信三先生にもかわいがってもらい、それが縁で人体波のグループに出会う機会があったそうだ。卒業後、農林省獣疫検査所に就職したが、松原家の長男であるため父親に呼び戻され富山県の県畜産種畜場で活躍。その後、富山県の西部畜産農協連合会の畜産関係の仕事に従事し精力的に活動していた。
42歳〜43歳頃 中央のボーイスカウトのお仕事で、千日回峰を2度行ったとして有名な比叡山延暦寺の阿闍梨(アジャリ)さんの、故・宮本一乘氏との出会いがあり、その後30年もの間のお付き合いとなるが亡くなる5年前まで宮本氏は自分の素性を言われなかったという。
(*阿闍梨:密教宗教における荒行のひとつ「回峰行」という修行があります。「回峰行」とは毎日休むことなく比叡山の峰をめぐり歩く修行です。午前2時、白装束に身を包み、腰には降魔の剣を付けて漆黒の闇に閉ざされた比叡山に点在する堂、木、水などあらゆるものに一人で礼拝してまわります。その荒行を700日目の堂入りを成し遂げた行者を「阿闍梨」、千日を満行した行者は「大阿闍梨」と呼ばれています。)
奈良の薬師寺の高田好胤官長や東大寺の清水公照官長とのお付き合いもあるということだ。
56歳ころに町議会議員に出馬し16年間(4期)町のために一心に尽くし、議長経験 委員長経験もある。町議会議員をされていた頃には松原さんの支持者である後援会の人数が年毎に増えていった。その方達へのご恩返しは必ずすることに心がけ、実行した。この考え方は楢崎先生、父から習ったものだという。
また、全国の図書館に送るため、文部省から青少年に送る書物として自分の子供のときのエピソード「わが人生論」を書いたことがあるが、これが大好評だった。59歳の頃には富山県人名録に掲載されるほどにまで有名となった。
現在、松原さんは「静電三法」・相似象に基づいた優勢線上に位置する25,000坪の広大な山中で10,000頭の豚を飼育する豚舎を持つ養豚センターを営みながら3人の子供達家族と一緒に暮らしている。
松原さんのグループでは今もなお、相似象に関して年に1回、グループの方達があつまり、各々の研究の中での問題点を出し合いながら勉強会を開催しているという。今年の勉強会は3月に2泊3日で予定しており全国から25人位集まるという。湯に浸かりながらの勉強会になるということだ。
「相似象学に関して私は全国の土地、北海道から石垣島まで見て回りました。いろんな講習会に積極的に参加しました。私は自分で確認をしないと納得いかない性格ですから。丁史(万葉集)に出てくる全国の有名なお寺は全て回りました。」日本の由緒あるお寺はほとんど優勢線上にある事が判ったという。また、外国では、タイ、中国、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、オランダなどにいきましたがどこに行っても相似象的にものを見るから面白い。同じ地球上ですので世界中どこでも同じ現象が見られるんです。特に中国の安微省・東経118°、北緯30°の相似象の素晴らしい優勢地が見られた。」とおっしゃる。楢崎先生の研究を基に、これほど徹底的に相似象学を究められた方がいることに感激した。また、「僕は楢崎先生は吉田松陰の教えを受けてこられた方ではないかと思っております。」と言いながら、山本常朝・著の武士道「はがくれ」の書を出してきた。「武士道とは死ぬこととみつけたり」・・・・同じことですが「学問の道は死ぬ時まで学ぶ心を貫け」ということを楢崎先生から教えていただいたのです。 |
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相似現象
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